歌は世につれ

若草では結成から14年の間に、実にたくさんの歌を唄ってきました。

まさに「古今東西」の名曲揃い。


最近の歌は、言葉数も多かったり、字余り的で、リズムも早くて、

中高年合唱団には歌いにくいのが多いんですけど。

これも忙しい世の中を反映しているのかしら・・・。


歌って、その時代時代の世相を反映しているんだな~って

つくづく思います。

時代を背景として、夥しい言葉の中から

これぞ!っていう一言を選び出し、紡ぎあげるんですから、

作詞家ってすごい仕事だと感心しますよね。


若草ではもちろん、外国の昔昔の歌を唄うことも多いんですよ。

時代のフルイにかけられた、言ってみれば研ぎ澄まされた珠玉の歌たちです。


「単に言葉遊びの戯れ歌よ。深く考えずに楽しめばいいわよ」

っていう方もいますけど、

何百年も歌い継がれてきたからには、それなりの理由があるはず。

作者がその言葉を選んだ訳とか、どんな歴史の中で作られたのかとか・・・。

辛い時代なのに、なんでこんな明るい歌が生まれたんだろう、とか。


それらを推し量って、歌うのが我々の仕事。

若草はもちろん素人集団ではありますよ。

でも、最低限、作られた時代に思いを馳せ、自分の想像を働かせて

自分なりのメッセージを込めて歌おうとするのが、

その歌に対する礼儀っちゅうもんじゃないかしら。


しかもその努力を見せず、かつ

「深く考えずに、楽しんで歌っているかのように」

軽やかに歌う、っていうのがウデとワザの見せどころで・・・。


ずっと以前、

まだ若草が出来立てで、初めてコンサートをやったときのこと。

今考えると、冷や汗もんでしたけど。


「百万本の薔薇」を歌った時のこと。

なんと一番前のお客様が、一生懸命涙を拭いているじゃありませんか!!


『え?!こんな下手な演奏で?!』と、内心思ったんですが、

聴いてくださる方にとって、何が心の琴線に触れるのか分からないものだ

とつくづく思ったものです。

歌う側が自分で「下手」なんて言うほど、売り物にならない演奏を

不用意にするべきじゃないと心に戒めたものです。


歌うってことは、ある意味、メッセンジャーになるってことじゃないかしら。

歌の心や作った人々の思い、歌い継いできた人たちの魂を、

今の時代に伝える役割を担うってこと。

その歌の持つ意味や意義を考えつつ唄うのも、

その曲を選択した我々の義務と責任なんじゃないのかしら。


歌は他の音楽のジャンルと違って、「言葉」が付いています。

で、言葉にはもちろん意味があります。

そして言葉も音も、発したその人の波動を表すもの。

合唱と言う形で、大勢で発する言葉と音は大きなエネルギーと

パワーを持って伝わっていきます。(良くも悪くもね)


我々歌い手としては、その覚悟を持って、1曲1曲を大切に歌っていかなければ、

なんてことを、つらつら思うこの頃です。


混声合唱団若草へようこそ

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