大河の一滴

最近、個人的に熱を入れている一つに太極拳があります。


よくご高齢の方々が公園などでやっている、曲に合わせてゆったり動くあれとは違って、

私の流派はもっと武道って感じ。

曲も使わず、びしっとした動きをします。


その合宿があり、参加してきました。


動作というより、精神面を重視し、自分の気の流れを大切にします。

自分を無くし、相手を受け入れ一体となることで、相手を意のままに動かす・・・

(って超初心者の私の解釈ですけど)


「わたくし」という個を主張しているうちは、どうやらこの境地に達することはできないようです。あくまで自分は大河の一滴に過ぎず、河の中に混じってしまえば、もはや「わたくし」は存在しなくなる・・・

宇宙や自然の一滴に過ぎない自分。



まてよ。

これって合唱も同じじゃないの?

「私が歌っています」と、個を主張している限り、良いハーモニーって生まれません。

(常日頃言われていることですけど)


自分を無くし、団員皆と一体化し互いを受け入れる

そして「意のままに動かす」のは、指揮者のお仕事かしら。


力を抜いて、頑張っている自分を無くして、

「大河の一滴」に過ぎない自分、大河じゃなくって小川程度かもしれないけれども、

「若草」っていう川の一滴に過ぎない自分をそれぞれが意識し互いに委ねることで、

素晴らしいハーモニーが生まれるんだろうな。。


なんて思ったりして。。






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