宮城県にも緊急事態宣言が出され、練習会場だった市民センターや
公共の機関が使用できなくなりました。
「不要不急の外出は自粛するように」とのお達しです。
不要不急の最たるものとしてやり玉にあがるのが、
娯楽系ではあります。
中でも合唱は、飛沫を飛ばしウイルスの発生源かのように扱われている向きもあり、
何とも心外なところです。
確かに急いでやらなくてもいいことではありますが、
要らないものか、と言えば決してそんなことはありません。
歌は、多分、太古の時代から、人間が嬉しいにつけ悲しいにつけ、自然に発生した
最初の自己表現だったと思うのです。
他の動物ではできない、人間だけが持つ魂の行動と言うか・・・
今、卒業式でも歌えない状態が続いていますが、
それに替わるリモートコーラスなど、あの手この手で合唱をしてみようと、
いろんな試みがなされています。
それは歌うという行為が、人間の魂の根幹の表れのようにも思われて。。
そして多くの合唱団員にとって、合唱は単なるお楽しみではありません。
3・11の時に奇しくも団員の一人が言ったように、
「生きている証」でもあるのです。
生きている証でもあり、生きる術でもあり・・・
マスクを着けて歌う、
消毒する、
換気をする、
間隔を十分に取る・・・
などなど、多くの合唱団は厳しく守って練習しています。
スーパーコンピューターの検証でも、
どうすれば大丈夫か、ある程度は分かってきています。
どうか合唱の道を閉ざさないで欲しい、と切に願うばかりです。
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