最近読んだ本の一節に、
人は日々、制限や制約の中で生きていればこそ、
何かを望んだり、さらに高みを目指すことができる、
っていうような一文がありました。
なるほどなあ、としみじみ思います。
だって、もしも何でも可能で、すべてが思い通りにいくとしたら、
人は、自由と言う名の不自由の世界に生きることになるのかもしれません。
今現在、世界中に制限をかけているのは、何と言ってもこのコロナウイルス。
でも、やりたいこともやれない、行きたい所にも行けない、会いたい人にも会えない
この現状の中で、人は数か月の間に、精一杯の知恵を出し合い、様々な新しいもの、
事を創造してきました。
若草には有難いことに、遠く離れても若草と繋がっていてくれる遠隔地団員がいます。
これまでなら、たまたまこちらに来た時だけの参加でしたが、
このコロナ禍の中でやむを得ず、ライブ配信やYouTube配信することになり、
遠隔地の人たちも、毎週練習に参加できるようになりました。
それに、次回の練習が必ずある、と言いきれないスリリングな日々に、
リアル若草に参加の場合の意識も違ってきたように思います。
練習中は余計なおしゃべりもせず、ろっこ先生の話を聞き漏らすまいと耳をそばだてているし、
しんとした休憩時間に、思わず長いなーと感じたりして・・・
そして歌う時には、画面の向こうの仲間にも届け!とばかりに精一杯声を出す・・・
(『悲鳴』とも表現できるけどね)
制限があるからこそ、歌を渇望し、仲間を強く思う。。
リアル練習に参加不参加は関係なく、互いのエネルギーが溶けあって、
また新しい若草の形が出来上がりつつあるような、そんな気がして。
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